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あなたはきっと大丈夫

2020年4月23日、世はコロナ禍のまっただ中です。

真綿で首を締めるような圧迫感のある世相ですが、
四季の運航はこれまで通り。
植え込みのツツジが春の訪れを爛漫と告げています。

ぼくはこういった景色を見るのが好きです。
季節の移り変わりや人の営みの変化に喜びを感じます。

ぼくには引きこもっていた時期があります。
時が止まったような部屋の片隅で、
ひとり膝を抱えて朽ち果てるのを待っていたあの頃に比べれば、
社会情勢の不安くらいはどうということもありません。

花薫る春の陽気にぼくは、喜びと感謝を感じて祈りを捧げます。

ぼくは占い師で、神仏への信心もありますが、
別にこれを「神に感謝を」とかいった言説へと
結びつける気もないのです。

ぼくが感謝しているのは自らの幸運、
鬱抜けして部屋から脱出できたこと。

いまもまだ孤独に戦っていたり、
耐え切れずに自死を選んでしまったりした人と、
ぼくとの違いはほとんどありません。

ほんの少し、運がよかっただけ。
偶然助かった。

ぼくがいま街路樹の開花に喜びを感じられるのは、
15年前に鬱抜けを果たした幸運の延長線上にあります。

お分かりいただけるでしょうか。
ぼくの幸運は15年前に一度助かって終わりではないんです。

今日まで続いているんです。
あの日から15年間、幸運であり続けました。
その結果としてこの記事を書いています。
その事実に、祈る気持ちが沸き上がってくるんです、
胸の奥底から。

ぼくはたまたまこういったことへの感受性が高いので、
こんな感じでメチャ喜んでますが、
この幸運は別にぼくに限ったものではありません。
この記事を読んでいる皆さんも同じように幸運です。

ただ気付いていないだけです、
大きな幸運に恵まれて今日まで命をつないでいることに。

もし今、ご自身の不遇を嘆いている人がいたら、
思い返してみてください。

死にかけて九死に一生を拾った経験はありませんか。
人生の一番悪かった時期と比べてどうですか。

その時助かったから今があるのです。

それを思い出せたら、ご自身をほめてあげてください。
その幸運を見事つかみとって、
今日まで無駄にせずにきた自分を誇りに思ってください。

そうして、また、この時代を乗り越えていきましょう。
ぼくも共に歩みます。

平将門(本人)と会った話

こんちは、占い師のshinjiです。

何年くらい前ですかねー、2010年よりは前のことだと思うんですけど。
そのころ私はまだ名古屋に住んでまして。

たまに東京に遊びにくると、関東のお友達が徹夜で歓迎してくれたんですね。

で、ある暑い夏の夜、お友達二人とぼくの3人でごはん食べてブラブラして、
終電なくなって今からどうしよっか、ってなったとき、
友人Aくんが言い出したわけですよ。

「いまから将門の首塚行ってみない?」

もうね、アホかと。バカかと。
時刻はすでに深夜1時を回ろうかという時間。
丑三つ時に関東最恐心霊スポットに突撃ですか。
いいね!行こう!

そんなわけで新宿から大手町までテクテク歩きまして、
やってきました平将門の首塚。

地方民的には初めて訪れたスポットなわけですが、
噂に聞いていた心霊スポットって感じは全然しません。
おどろおどろしい空気が全くなし。

むしろ古刹の本堂みたいな静謐な空気が漂っていました。

というか、どこからともなくお線香の匂いが・・・。
火のついた線香がお供えされてました。深夜3時。
こんな時間に人来るとか、そっちのほうが怖いですw

当初の思惑とは異なる方向性で軽く恐怖を覚えつつ、
改めてロケーションをチェック。

おや?境内に酒樽が奉納されてますね。相撲取りの人が正月に叩き割るようなやつ。
さすがゴージャス。

酒樽のあたりから、何か霊感にヒットするものを感じますね。
ちょっと心眼の感度を上げてみましょうか。

あー酒樽の上に誰か腰掛けてますね、肉眼では見えませんけど。

光ってる人が酒樽の上にあぐらをかいて、枡でお酒を飲んでます。
金色の鎧を着けて、なんか古風というよりいにしえ風な髪型ですね。

画像は大国主さま byいらすとや

もしかして本人でしょうか。
「こんな時間にだれぞ来おったのう」という感じで、なんとなく佇んでおられます。

ご本人を目の前にして多少やりにくい気はしましたが、
来たからにはお詣りするのが礼儀。
お経を上げながら心の中で念じます。

「縁あって当地を訪れることが出来ました。
 今後につながるような神縁を賜れますように。」

すると、一拍して心の中に強く浮かんでくるイメージがありました。
流麗な唐草文の施された黄金の鞘に納められた、一振りの日本刀。
妄想でしょうか。いいえガチです

なぜなら、心の中で受け取ったものであるにも関わらず、
鞘から抜けなかったから。

妄想であるなら、もっと自分に都合が良くてもいいはずです。
封印されていたみたいですね。
自力で封印を解けるまでレベルを上げろ、ということのようです。

レベル上げたらまたおいで、という意味でもあるので、
これ以上ない神縁をいただいたと言えるでしょう。
将門さまへ丁重に御礼申し上げてその場を後にしました。

封印されていた刀がどうなったかはまた後日。

セドナ着く前に泣いてるやつwww

わたしです ^o^

2017年にセドナっていうパワースポットに行ったんすよ。アメリカの。有名なグランドキャニオンに近い、同じような大峡谷。

ネイティブアメリカンの聖地で、欧米圏のスピリチュアルな人たちはヴォーテクスって呼んで、こぞって訪れるのね。(vortex、パワーの渦。日本語でパワースポットに相当する単語)

とても良い場所だ、と嫁に推されて、半信半疑ながらバスに揺られて6時間。

セドナ少し手前の風景写真

現地に入る前にガチ泣きしましたw

別に大地のパワーを感じて共感したとかではない。ていうかそんなものは特に感じられない。

ただただ景色が素晴らしかった。

セドナへの道行きは、森にも山にも遮られずに、世界の果てまで見渡せるかのような大地が広っていた。

視界をふさいでしまうほどではない大きさの小山がまばらに点在してたんだけど、どの山も同くらいの高さで、切り取ったようにてっぺんがで平らだったんだよね。

なんでこんな形してんのかな、と少し考えて、浮かんできた答えはものすごい衝撃だった。

あっち・・・が地面だ…!

子供の頃に学校の図書室の本に書いてあった。
大地が河に侵食されて巨大な谷が出来たと。
その土地はアメリカにあり、グランドキャニオンと呼ばれていると。
30年前の一欠片の知識がいま、実体験となって目の前に、足元にある。
あれは山ではなくてかつての平地、ぼくのいるところが谷なんだ。

この地形が出来上がるのに、何万年、あるいは何億年掛かったと書いてあったのかまでは覚えていない。
仮に1億年としよう。

ぼくはいま、1億1年目・・・・・に立っている!

時の流れの最先端にいるということへの唐突な理解。

この大地が生まれた遥かな過去は、過ぎ去ったものでも隔たったものでもない。
今のぼくと確かにつながっていた。

そんな実感が強く強く湧いてきて、ぼくは涙が止まらなかった。
今この瞬間のために、この場所はぼくを待っていた。そんなふうにさえ感じた。
ちょっと感じやすい人の空想に過ぎないのは分かっているけど、真実は僕だけが知っていればよいことだ。

セドナの滞在中はふつうだった。パワースポットとしては日本の神社のほうが強いんじゃないかな?

嫁によれば、僕みたいに泣きたいような気持ちになること自体が聖地の効能だそうだけど、よく分からないや。

興味が湧いたらあなたも行っておいで。行って1億3年目を体験してくるといい。

セドナは今日もあなたを待ってるよ。