最近のマイブームは鰹節をかくことです。
どうも。占い師のshinjiです。
昔、さる女流監督が言っていました。
「オンナはね、30歳を過ぎると丁寧に生きたくなるものなのよ」と。
オトコのぼくも30歳あたりから丁寧に生きたくなって、
土鍋で米を炊いたりしてました。今は鰹節。
さて、丁寧に生きる、とは、
具体的にはどのような生き方なのでしょうか。
問われた人の数だけ答えのあるような問答ですが、
ぼくは自身の経験から二つの提案を行いたいと思います。
ひとつ、一つの物事に継続して取り組むこと。
ひとつ、自分に嘘・ごまかしをしないこと。
以前にこんな出来事がありました。
ぼくが伝統工芸の工房で見習いとして働いていたころ、
作品にあしらわれた模様を見て親方に尋ねたときのことです。
「おやっさん、この模様は何を描いたものなんですか?」
「それは『浜松』という模様でね、砂浜に生えた松の若木を描いたものさ」
(ふぅん、言われてみれば、そんなふうに見えなくもないかな?)
そう思いながら小首をかしげた瞬間、
砂浜に立っている自分に気が付きました。
目の前には松の若木。
(えっ・・、えっ!?)
そんな馬鹿なと、
目をぎゅっとつむって首を左右にぶるぶると振ると、
次に目を開けたときには意識は職場の工房へと戻ってきて、
作業椅子に腰かけたぼく、手の中には親方が模様を入れた作品がありました。
ぼくが少し感受性が強いことを割り引いて考えたとしても、
名人の手仕事というのは時にすごい力を発揮するものだなぁ、と、
20年近く経ったいまも印象深く覚えています。
以来ずっと、なんでこんなことが起こったのかと考え続けています。
今のところこれが答えじゃないかなと思うのは、
親方が先祖代々(12代!)受け継いで来た手仕事です。
400年のあいだ脈々と、同じ模様を日々繰り返し繰り返し描いてきた。
ときに付け足され、ときに簡略化され、400年間洗練され続けてきた。
これって何かに似ていませんか?
そう、梵字やルーンです。
親方自身も、生まれてこのかた50年近くその模様を描いてきて、
抽象化・シンボル化して、素人がパッと見ても何を描いているのか分からない。
でも、分かったとたんに模様の中へ繋がってしまうほどのパワーを秘めている。
先祖伝来のものをなるべくそのままの形で次代へ託そうと、
親方自身も50年間向き合い続けた、
その結果がこういう形で実を結んだんじゃないかなと。
話は戻りますが、
丁寧に生きるってこういうことじゃないかと思うんですよ。
たった一つのことでいいから、
誠実に向き合い続けろってことだと思うんですよ。
人間ですからね、365日がんばれってのは無理な話です。
サボる日も手を抜く日もあったっていいんです。
でもね、ここでへんなごまかしをしちゃいけない。
自分しか騙せないような、くだらない嘘をついたらダメなんです。
サボったら、手を抜いたら、
ごめんなさいして次もっと頑張りましょう。
それが誠実ってもんでしょう。
間違いを認めて、
正すよう努力するのが正直ってもんでしょう。
〇〇だから出来なかったのは仕方ない、
そういうごまかしが、
人生を丁寧から遠ざけるんじゃないかな、って思うんですよね、
親方の仕事を思い出すとね。
ぼくも、始めたばかりのこのブログに、
親方みたいに誠実に取り組まなきゃなって、
この記事を書きながら気持ちを新たにしています。
とりあえずは頭の中にあるもの全部、
記事として出せるように頑張りますね。
よろしくお願いします。